知識:ブータンは親日国 意外な過去も

ブータン

熱烈な親日国として知られるブータン王国。日本の農業指導者がブータンに渡り、日本の野菜をブータンの国土の合うよう品質改良、貧困を救ったことがブータンが親日国になった主な理由。さらには農業の機械化もすすめブータンも近代農業が盛んとなり、生産の軸になったのである。

元々ブータンは野菜が収穫出来るような土地ではなかった極貧地域である。かつてのブータンは外の文化に閉鎖的。そのため日本人が農業指導を現地民に教えようとしたところ拒否されるようなことも少なくなかった模様。というのも、日本以外の国々もブータンで農業を発展させようと試みていたがことごとく失敗、現地では諦めムードだったからだ。外国人を信用しない国民性になってしまっていたのである。日本人に提供されたブータン政府からの土地も、痩せこけた最悪の土地。はじめは60坪程度しか提供してもらえなかったという。そのような現地民のプレッシャーの中、当時の日本人はみごと農業を成功させ産業の軸を生み出したわけである。また、稲作の効率化を教え従来の140%に生産を伸ばしたのも、そして水路を設計したのも、道路や橋を修復したのも日本人である。これらを成し遂げた人物は西岡京治氏。現地では「ダショー・ニシオカ」の名で呼ばれている。ダショーとは、人民の中の最高位を指す。西岡氏は今でもブータンの伝説の人物となっている。

ブータンが親日国なのは上記の理由が一般的だが、また、実は他にもエピソードが存在する。その中で特に面白いものを紹介したい。

ティンプー(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%BC

ティンプーとは現在のブータン王国の首都である。実はこのティンプーの名を世界に知らしめたのが、他でもない日本。1958年、京都大学の植物学者であった中尾佐助氏はブータンを探検、その当時首都の置かれていたプナカを訪れた。しかし首都だったはずのプナカはただの谷と化していた。その後、中尾氏はティンプーを訪れようやく王宮を発見した。この出来事によって、同国の首都がティンプーに遷都していたことが世界に発信されることとなったのだ(異説あり)。

外国に閉鎖的だったブータン国民の感情を開放し、農業を救い、都市を世界に知らしめたのが日本人。ブータンにとって日本は切っても切れない関係なのだ。

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赤松 伊織
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豊受真報編集長、赤松伊織です。読者の皆様に様々な情報をご提供できるよう精進してまいります。豊受真報をご愛読くださいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。